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こうほう佐倉 2018年2月15日号(1279号)

新 佐倉 錦めがね《其の56》成田山参詣と善右衛門

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千葉県佐倉市

「古今(ここん)佐倉(さくら)真佐子(まさご)」に見る江戸時代の佐倉

「古今佐倉真佐子」著者の渡辺善右衛門は、麻賀多神社をはじめ、当時から佐倉にあった寺社について詳しく述べています。加えて、現在も多くの参詣客で賑わう成田山新勝寺についても多くの記述が見られます。
文中では、境内の建造物や仏像などさまざまな事項が触れられています。本尊の不動明王像と二童子像について、善右衛門の私見を紹介しましょう。
「弘法の作と云伝たれとも玉眼故如何、弘法時分は眼に玉入事なし」とあり、玉眼(仏像の目をより本物らしくみせるために水晶の板をはめ込む技法)が用いられているため、弘法大師(空海)の作であることに疑問を述べています。空海ではなく、平安時代後期に活躍した仏師の定じょうちょう朝の作ではないかとしています。
また、新勝寺の三重の塔と大坂の天王寺の塔を比較し、新勝寺の塔は天王寺の塔の写しであると指摘しています。付属の「総州佐倉御城府内之図」でも、左上に「成田不動三重ノ塔大坂天王寺ノ塔ノ写シ」と同様の内容が書き込まれています。
善右衛門は見聞きしたさまざまなことをもとに、比較検討し、通説に疑問を述べるなどその博識の高さがうかがわれます。善右衛門自身が初めて成田山を参詣したのは、享保三年(一七一八)の正月であることがわかっています。善右衛門の父も元禄十六年(一七〇三)に参詣し、以後毎年のように参詣していました。この年は成田山新勝寺が初めて江戸の深川にて出開帳を行った年でもあり、これをきっかけに多くの参詣客で賑わったことはよく知られています。善右衛門もまた佐倉にいる時期には、父と同じように年に一回は成田山を参詣していました。さらに、「古今佐倉真佐子」には、成田山に関する事項に加え、寺の縁起が紹介されており、善右衛門の成田山に対する思いの深さを見て取ることができます。

問合せ:文化課 【電話】484-6192

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